東日本大震災
| 発生日時 | 2011年3月11日 午後2時46分 |
|---|---|
| 震央 | 宮城県三陸沖 |
| 震源 | 北緯38度1分、東経142度52分、深さ24km |
| 規模 | マグニチュード9.0(モーメントマグニチュード9.1) |
| 最大震度 | 震度7(宮城県栗原市) |
| 被害 |
死者:19,775名 行方不明者:2,550名 負傷者:6,242名 建物被害:全壊12万2,050戸、半壊28万3,988戸、一部破損75万64戸 |
| 経済被害 | 約16.9兆円 |
かつての日本でトイレは「憚り(はばかり)」と言われており、あまり話題にすべきでないものという意識で見られていました。食事時のテレビ番組でトイレの話題にふれると「汚い話題を出すな」とクレームがあったり、トイレ関係のCMも時間帯を意識し、なるべく“公にしない”姿勢が常識的だったのです。
しかし、発生直後のピーク時において膨大な避難者、停電世帯、断水世帯が出た東日本大震災では、迅速に対応しなければならない重要課題の一つに「必要不可欠なトイレをどう確保するか」が上がり、にわかに新聞やテレビ等の報道でも災害地のトイレの話題がクローズアップされることが急増。支援物資として携帯用トイレが、食品と同等に扱われるようになったのも、この地震からでした。
長引く避難生活の中では、トイレが避難者の健康状態に大きな影響を与えることが明らかとなり、ただ用を足すだけではない、精神的な影響も考慮したトイレの「質」にも注目が集まりました。
当時、トイレの備蓄は「仮設型」中心で、迅速な対応が難しく、広範な被災地に行き渡らせることが困難でした。そんな中、様々な状況に柔軟に対応できる携帯用トイレが、地震などの災害時に備える衛生用品のスタンダードとして、かつてない注目を集めました。
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmを震源とする東北地方太平洋沖地震が発生しました。地震の規模はマグニチュード9.0で、 当時の日本周辺においては観測史上最大級の地震でした。
震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの約10万k㎡に及ぶ広大なエリア。最大震度は宮城県栗原市の震度7で、宮城、福島、茨城、栃木などで震度6強、東京・横浜で震度5強を観測しました。
地震による被害をかつてないほど甚大なものにしたのは、きわめて大規模な津波の発生でした。波高は数mから最大10m以上、最大遡上高は40.1mにも達し、東北から関東の太平洋岸には壊滅的な被害を受けた地域が数多くありました。津波は北海道地方の沿岸部などにも到達しただけでなく、ハワイ諸島やインドネシア、アメリカ西海岸にも及んでおり、海外でもこの津波による負傷者が数多く報告されています。
巨大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊、森や河川、工場や住宅、港湾、公共施設などの損壊・浸水・大規模火災・爆発などの被害が広大な範囲で発生し、道路・電気・水道・ガス等各種インフラ・ライフラインが寸断され、大規模停電や断水などが発生。さらに、多数の鉄道や新幹線、航空機、船、バス、タクシーなどの運行が長く乱れ、交通網は全国的に麻痺状態に陥りました。
未曾有の大災害を、かつてない深刻な事態にしたのは、地震から約1時間後に、東京電力福島第一原子力発電所を襲った地震でした。1―5号機で全交流電源を喪失。原子炉を冷却できなくなり、1・3号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生。大量の放射性物質の漏洩を招いたこの事故は、チェルノブイリ原子力発電所の事と同等に位置づけられています。同原発の立地する福島県浜通り地方を中心に、周辺一帯の福島県住民の避難は長期化し、2012年からは「帰還困難区域」「居住制限区域」も設定されました。
火力発電所などでも損害が出たため、関東地方は深刻な電力不足に陥り、震災直後の一時期には日本国内では65年ぶりに計画停電が実施されました。損傷した原発からの放射能拡散を防ぐ取り組みは、国内だけでなく世界中から注目を集め、今も止まることなく続けられています。
震災発生直後のピーク時において避難者は約47万人、停電世帯は800万戸以上、断水世帯は180万戸以上などの数値が報告されています。13年後の2024年(令和6年)3月1日時点で、震災による死者・行方不明者は22,325人、建築物の全壊・半壊は合わせて406,038戸が公式に確認されています。
復興庁によると、地域の復旧事業や原発の廃炉作業は、当初の目論見より遅延しているものが多く、2025年5月1日時点の避難者などの数は27,037人となっており、復興や避難が長期化していることが、この震災が、いかに広範に及び甚大で深刻な被害を与えたものであったかを物語っています。